2011年3月19日土曜日

震災後一週間

3.11テロとも云うべき東北関東大震災から一週間が過ぎた。
被災者のことを思うとblogを書くことがためらわれてました。

震災時は仕事明けで家にいてtwitterを眺めてました。
東北で起こった地震ながら遠く京都まで揺れ、自分が生きてきた中で最大の地震。
そんな中、その日mixi日記に書いたのは4/15で警備の仕事を辞めること。
自分のことしか考えていない自分です。
それ以上にあの時点でこの災害の酷さをイメージできなかった自分。
そんなこんなで一週間かなり凹んでました。


そんな中、神学生時代に阪神大震災のボランティアに出かけた牧師と日航機墜落事故の時、御巣鷹山に派遣された元自衛官の方との雑談からメモ。

牧師
震災地に行って悲しいとか可哀想とかいう感情は自分に余裕があるから。被災した人たちは悲しむ余裕さえない。またボランティアに行く際に、生活必需品を全て揃えて行かなければ、現地の被災者たちの食料を奪ってしまうことになる。

このことは今村岳司XDL - diaryに詳しく記されているので一部引用。
統制もとられておらず装備もなく訓練も受けていない「ボランティア」は
ただの野次馬観光客です。何の役にも立ちません。
自衛隊は、食糧から水から燃料から寝具から、全て自前で用意して出動します。
しかし、手ぶらのボランティアは、
被災者が食うべきものを食い、被災者が飲むべき水を飲み、
被災者が寝るべきところで寝るのです。

(中略)

要はプロに任せることです。
16年前、遠くのまちの名前が書かれた消防車やパトカー、
そしてなにより規律正しい自衛隊が来てくれたときには、
ほんとうに嬉しかったです。
彼らは、これまでに見たどんな人間より気高かったです。
彼らはプロとしての技術を持っていましたし、
彼らは私たちに感謝されることなど求めていませんでした。
被災地に必要なのは、プロだけです。

元自衛官
御巣鷹山の時は自衛隊だけではなく、警察も派遣されていた。ただロジスティクス(兵站)が十分でなく、仕出し弁当で仕事をしたため最後は皆、便秘になってしまった。一方、自衛隊は2名が前線へ、2名が後方で設営にあたり、交互に動いていたため問題はなかった。
参考:素人は「戦略」を語り、プロは「兵站」を語る

その意味でキリスト者がほかの人より訓練されているのは「祈り」なのでしょう。
(信徒でない方からみると馬鹿げたことに見えかも知れませんが。。。)


で、福島第一原発があんな事になってしまって今後どうなるか?なのですが、
石炭から石油に替わったのは石炭が枯渇したからではなく、石油の方が安上がりだったから。石油から原子力に移行したのも同じ理由。
もっとも安全コストも含めれば原子力の方が高価だという説もあるが。。。

原子力よりも安価で安全なエネルギーが開発されない限り、経済原理が働くな。

とりあえず自分に今できるのは、「祈る」ことと自分に出来ることをすることぐらい。
そんな理由でblog再開。

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